『分かり合うための言語コミニュケーション』への質問 ~第10回・距離感~

コミニュケーションの質を高める有効な方法として、
『正確さ』『分かりやすさ』『相応しさ』『敬意と親しさ』の4つの要素が 報告されています。
※文化審議会国語分科会の資料で (分かりあうための言語コミュニケーション(報告))

報告書には、実際のコミニュケーションで、『例えば、こんな時どうすればいいの?』という場面に、4つの要素を活用して質を高めることが出来るとする質疑応答の章もありました。

35の質疑応答の中から、ピックアップして、ご紹介していきたいと思います。
最終回は、『距離感』について取り上げます。
※第1回からは本ブログのタグ:コミニュケーションに格納しています。

普段のコミュニケーションで、相手と対峙するとき、どんな気持ちが起こっているでしょうか。情報の伝達のみの会話は よほどの社交辞令でない限り、成立するのは難しいかもしれません。その社交辞令にあっても、心の奥底では”無難に”という気持ちがはたらきます。会話によってもたらされる「何か」を考えてみましょう。

目次

言語コミュニケーションにおける Q&Aの中から

この設問は、前回『分かり合うための言語コミニュケーション』への質問 ~第9回・敬意と親しさ~ の解説の2-4でお伝えしたその後の一例ともいえます。

設問 少し親しくなれたと思った人たちに対し、くだけた言い方で話し掛けて、けげんな顔をされるようなことがあります。どのようなことに気を付けたらいいでしょうか。(Q33/35中)

回答 同好の人たちの集まりであっても、対人距離を少し遠くとった人間関係を好む人もいます。
相手となる人たちの付き合い方を少し観察してみると良いでしょう。

解 説

距離感(間)

人との関係性を考えるとき、距離で表現することがあります。

近しい存在、気の受けない人(気が置けない人)、(あの人と)近づきたい、隔たりを感じる、あるいは(心が)閉じる等々。

距離という視覚的な感覚で表現すると、具体的なイメージが伝わりやすいことを言葉は示していますね。

物理的な距離と、心の距離感。どちらにも共通することがあります。
「自分の身を守る」「あるいは守りたい」という気持ち(心理状態)がおこることです。
【防御本能】【防衛本能】ともいいますが、危険な状況からは逃れたいと、生物は本能的で判断します。

特に人間は自身が弱い存在であると本能で認識しています。人間の赤ちゃんは、生まれてすぐ立ったり、介添えなしに食事をすることが出来ません。裸の状態は無力で、攻撃より守りを選択するのは、他の哺乳類と比べても自身が弱い種族であることを認知しているからです。

masuda

逃げること。弱かったことが進化への大いなる助けになったことはまた機会があれば。

成長してもケガや病気、あらゆる危険から身を守らねばなりません。回避に役立つ最も有効な手段は「距離を保つこと」です。

有名な距離間にパーソナルスペースがありますね。

パーソナルスペース

パーソナルスペースとは、他者が自分に近付いて不快に感じない限界範囲のことをいいます。
アメリカの環境心理学者 ロバート.ソマーが提唱したと言われています。

人には目に見えない自分の感覚として、他者が侵入してくると不快に感じる空間領域を持つということ。

masuda

ご存じの方も多いと思います。自分のパーソナルスペースは広めとか、狭いとか意識されたこともあるのでは?


詳細は割愛しますが、公的、私的という区別から、性別や年齢、国によっても異なり、非常にデリケートかつ、個人的な感覚が存在しています。

心のパーソナルスペース

危険回避のための防衛本能は、心の中にも存在してます。
物理的な距離間は、そのまま危険領域として『この状態は危険』と心理状態に影響します。
未知に対しても警戒が先立つので、やみくもに近づくことはしないでしょう。

同じように、心の中の防衛本能は、
「この状態は危険だ。」「この人は危険だ」と判断すれば、気持ちも寄ることはありません。
未知に対しても警戒するので、距離をとった状態がスタート地点です。

心のパーソナルスペースはこのくらいの距離感と認識できないので、本人も周りも意識できません。
関係性は距離感で表現できるとお伝えしましたが、心のパーソナルスペースと、関係性の距離感に必ずしも相関があると言えないかもしれないというのが個人的な見解です。

関係性と個人感じる距離感

関係性が近くなったから(深まったから)といって、相手の心のパーソナルスペースも近くなるとは(深まった)とは言えないかもしれないということです。

自分の心のパーソナルスペースにこの人はこれだけ侵入している。
でも、それを心地よいと感じるかまだ慣れないと感じるかは非常に個人的な感覚で、同じとも違うとも説明できないし、数値や散布図のようなグラフに表記もできないのです。

そのような研究がなされていることを知りませんし、汎用的なデータも見つけられません。

親しくなっているはずなのに、距離感を感じるのはどうしてという
設問のような『少し親しくなれたと思った人たちに対し、くだけた言い方で話し掛けて、けげんな顔をされるようなことがあります。』の説明になります。

個人の感覚は、一朝一夕に出来上がるものではなく、歩んだ人生の出来事によって複雑に形成されていきます。なぜ?と疑問に持つことでも、明確に説明ができないことが「心」には起こります。

自分には、思い通りにいかないこと、不思議なこと、納得ができないことも、他者から同じようにどうして?受け取られる感覚かもしれません。

それはどんなに仲が良くなった関係が築けていても、「違う人間」である以上受け止めなければならない事実かもしれません。

「事実」は事実として認め、気を付けたいのは、良い悪いと評価を下すものではないということです。
事実が分かれば、対策ができます。

回答の、同好の人たちの集まりであっても、対人距離を少し遠くとった人間関係を好む人もいるということを受け入れると冷静になれます。そして、相手となる人たちの付き合い方を少し観察してみると、どんな接し方が良好を保てるか方法がつかめてくるということにつながっていきます。

観察

じろじろ見ることではありません。

『察知する』ということです。

この『分かり合うための言語コミュニケーション』でも何度か取り上げましたが、言語以外で気持ちを発しているサインにノンバーバルコミュニケーションがあると紹介しました。

「空気を読む」「表情を読み取る」などとも言いますね、心の内にあるものは、言葉よりも表情や態度が雄弁に語ってくれています。

関係性に変化が表れても、先述したように「違う人間」なので、新発見はゴロゴロ見つかるはずです。
自分ばかりが関係性を構築する努力をしている。と嘆かないでください。

他者を観察することはおのずと自分の新たな面を発見することでもあるのです。
「他者と違うところがある自分」を発見していることになります。

『好きなものは後でとって億タイプなんだ。私は先に食べるほうかな』
『意外と雑然としているんだな。私は几帳面にそろえるタイプかも』
『プライベートのことでも家族のことはあまり話さないな。私は全部オープンかも』
『距離感を感じるけれど、悪口を聞いたことはないな。そこは同じかも。』などなどなど。

違いに「良い」「悪い」はありません。ただ、「違う」だけです。
違いが興味に発展して、互いの理解も進んだら関係性も違う変化が現われるかもしれませんね。

言語コミュニケーションとしての距離感

言語コミュニケーションの向上をテーマにした記事なので、言語が放つ「距離感」もお伝えしようと思います。

伝え合う時に使う敬語、非敬語から受ける印象を下表に示します。

距離感親しみやすさ応答裏 目
敬 語遠い気遣い丁寧打ち解けない
非敬語近いストレート気楽乱暴、ぞんざい

実際には、関係性や、立場役割で親しみやすさや裏目だけではない印象も与えるかもしれません。
敬語を使って距離感としては遠いと感じても、気遣いがあって丁寧なら安心感を覚えるかもしれませんし、
非敬語を使って、距離感をなくそうとしても、ぞんざいな印象を与えたりします。でもっざっくばらんに、ストレートで気楽と感じれば、親しくなる時間も短いかもしれません。

自分の感覚だけで、言葉を発すると良い印象を与える確率は高いとは言えません。

メディアに登場する有名人が、垣根を超えた言葉遣いをして許されるのは、切り取られた画面の中の演出と割り切ったほうが良さそうです。(饒舌な人がプライベートではしゃべらないなんてギャップは珍しくありません。)そこに影響を受けて良しとして自分の環境に持ち込むのは尚早です。

どんなにコミニュケーション能力が高い(高いといわれている)人であっても、一発勝負で完ぺきなコミニュケーションをなしえるのは、無理かもしれません。確実な正解がないのもコミュニケーションの特徴かもしれません。

今回の質問で、4つの要素として、おさえたいポイント。 意識したい5つの要素から
敬意と親しさ④互いに遠ざかり過ぎたり近づき過ぎたりしていないか⑤用いる言葉が相手との関係や距離に影響することを意識しているか

最終回として、あらためて振り返る

最終回で『正解がない』は、見も蓋もないと思われるかもしれません。

しかし、逆を言えば、可能生だらけだ。ということに期待を持つことが出来ます。

資料に沿って、4つの要素 『正確さ』『分かりやすさ』『相応しさ』『敬意と親しさ』を伝えてきました。
コミニュケーションは1人では成立しません。 話す、聴く、打つ、全てに相手がいます。

その全ての相手は、自分と異なる生い立ち、環境、年齢、価値観を持ちます。
伝える言葉も、時代によって解釈が広がったり、
伝える媒体も、言葉から活字など様々です。

異なることの方が多い中から、選択し、吟味し、自分の意図を伝えることは 簡単ではないことを本シリーズでお伝えしてきました。

それでも人との会話は続きます。仕事、公の場、プライベート、趣味の世界、ネットの世界でも。

伝え合うことで、失敗もあるかもしれません。あやまることでカバーできます。
謝罪 ~あやまる~』2021年12月20日
伝え合うことは面倒なことが多いと考えてしまっていても、相手も同じかもしれません。
第2回 人間関係で消極的になってしまう場面』2022年1月31日

コミニュケーションは、楽しいものです。 

自分の知らないことを教えてくれる。「教えて」と頼ってくれる。自慢したら褒めてくれる。悲しんだら慰めてくれる。ミスしたら怒ってくれる。一緒に喜んでくれる。応援してくれる。労ってくれる。共感してくれる。言葉を介して『伝えあう』には、無限の可能性が秘められているのです。

出展
文化庁
https://www.bunka.go.jp/
文化庁/「分かりあうための言語コミュニケーション(報告)」
https://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/__icsFiles/afieldfile/2018/04/09/a1401904_03.pdf
パンフレット:「分かり合うための言語コミュニケーション(報告)」
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/hokoku/wakariau/pdf/r1403493_02.pd

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