2022年 NHK大河ドラマ 『鎌倉殿の13人』
2022年1月9日(日)からNHKで放送が開始されている。『鎌倉殿の13人』
平安末から鎌倉前期を舞台として、源頼朝の死後に発足する 権力の座を巡る駆け引き、集団指導体制を敷く「十三人の合議制」の御家人たちの、北城義時を主人公に描いたドラマです。
残すところ後3回(投稿時12/2)。
鎌倉幕府三代将軍実朝の暗殺[1219年]が描かれ、三年後業を煮やした後鳥羽上皇が蜂起。北条義時との戦い「承久の乱」へのクライマックスにふさわしい事件が残っています。
そして、ラスト。脚本家の三谷幸喜氏がインタビューで語っていたように、『これまで闇の限りを尽くした北条義時がすんなり死んでよいのか。』
承久の乱から3年後の1224年。北条義時は「急死」します。ドラマでは「急死」をどう描くのかが話題となっています。様々な憶測が飛び交い、自身もこうではと予想を立ててしまうのは仕方がありません。
一部公式ガイドブックではすでに最終回までのエピソードが載っているので、その謎が解けてしまうかもしれません。放送日までは閲覧注意です。
ここ最近の大河ドラマで主人公が亡くなる場面は、これまでを振り返って穏やかにとか、その生死がうやむやになっているとか、戦場にあってさえやり遂げた感で納得した死で描かれていましたが、「鎌倉殿の13人」はまれにみる『闇』を闇として周知している義時が描かれています。それを受け入れる義時なのか、誰かが手を下すのをまるで待っているかのような?それとも?と伏線がちりばめられていますね。
三谷幸喜氏のインタビューでは、義時の息子・3代執権北条泰時が希望だと話していたので、義時が鎌倉幕府創生の「おり」をすべて回収して世を去るだとしても納得できる気がします。
放送決定からメディアに多数登場し、詳しくなった方や、鎌倉時代、北条氏などに興味を持った方もも多いのでは。
実は私もその一人で、神奈川県鎌倉市、静岡県伊豆の国市に出かける始末。
北条政子さんのお墓を詣でたエピソードも記事にしています。
北条政子の墓 ~鎌倉へ~
NHK大河ドラマ館
ゆかりの地である 静岡県伊豆の国市と、神奈川県鎌倉市には、大河ドラマ館が開館しています。
静岡県 伊豆の国市
名称:鎌倉殿の13人 伊豆の国 大河ドラマ館
場所:静岡県伊豆の国市四日町772
開館期間:2022年1月15日(土) ~ 2023年1月15日(日) ≪予定≫
開館時間:9:00 〜 17:00
定休日:水曜日(祝日の場合は翌日以降の平日)
※令和4年1月および2月は休まず開館
※令和4年4月29日〜5月8日の間は開館
展示内容:市内ロケを中心としたメイキング映像の上映、ストーリーやキャスト紹介パネル等 大河ドラマの世界観を味わえる展示
参照リンク: 鎌倉殿の13人 伊豆の国 大河ドラマ館
関連リンク:もっとたのしむ”ゆかりの地”案内
先述した通りドラマ館に行ってきました。
北条氏ゆかりの地ということで、義時がこの地で成長していく物語前半部分に焦点があてられた展示内容になっています。訪れたのが9月で、架空の人物とされる「八重姫」を演じた新垣結衣さんのインタビュー映像が印象に残ります。八重が死を覚悟したとき、一体何かを感じていたかなど胸が詰まる思いを語ってくれます。
ドラマ館の他に周囲は北条氏ゆかりの地が残っています。ドラマ館の裏手には北条邸後や、父・時政が頼朝の奥州討伐を祈願して建立したという願成就院などがあります。このお寺には運慶の作5体の仏像があり、運慶の作を一度に見られる貴重な場所としても有名です。
神奈川県 鎌倉市
名称:鎌倉殿の13人 大河ドラマ館
場所:神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-53
開館期間:2022年3月1日(火)~ 2023年1月9日(月・祝)
鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム[鶴岡八幡宮境内]
開館時間:9:30 ~ 17:00(最終入館16:30)
※ただし鶴岡八幡宮の祭事等に合わせて変動する場合があります。
展示内容:広く鎌倉の歴史文化を再認識してもらい、鎌倉の新しい魅力を発信する。
参照リンク: 鎌倉殿の13人 大河ドラマ館
関連リンク: 鎌倉殿×13人の御家人たち ゆかりの地 めぐり
こちらのドラマ館も行ってきました。
展示内容であるドラマの世界観があらわされ、登場人物たちの衣装や小道具、役者さんたちのインタビューなど裏話的な展示が楽しめます。アライエール増田的に興味がひかれたのは、制作にかける思いや技術の動画でした。
衣装では、当時の武士の経済状況を鑑み、鎧も先祖代々の使い古しのはずだから、身分によって汚し方を変えるとか。
カメラ技術では、対象以外を不明瞭にしてレンズ対象を鮮明にすることで人物を際立たせる技術を採用しているとか。
画面構成では、アップ、切り替えを少なくして、場面に人物を一度に見せてその場の臨場感をUPさせる効果を狙ったとか。
所作では、館内の場面で部屋から出るときは必ず左足で。入るときは必ず右足からを徹底していたり、当時は胡坐が正式な正座ですが、手を使わずに立ち上がるなど徹底していて、エキストラの一人ひとりにも「鎌倉時代」を演じてもらうように厳しく指導したとか。
裏話が満載でした。
中の撮影はできませんが、烏帽子をかぶって屏風の前で記念写真を撮ってくれます♡
ドラマの脚本家 三谷幸喜氏のコメント
タイトルも含めて“今までの大河とはちょっと違う”的なものにしたいと思い、試行錯誤を重ねて、最終的に「鎌倉殿の13人」というタイトルに決まりました。
NHK公式ホームページ 番組紹介より
「鎌倉殿」が頼朝のこと。「13人」は、頼朝の死後、合議制で政治を動かした家臣の人数を示しています。その13人も権力争いでどんどん脱落していき、最高権力者となったのが「北条義時」。頼朝が生きているときからパワーゲームが半端じゃなく、誰が裏切るのか全くわからないので、毎回本当に手に汗握りながらワクワクして見ていただけると思います。
この時代は本当におもしろい。おもしろいドラマ、おもしろい物語の要素が全部詰め込まれている時代です。僕の頭では想像もつかないようなドラマが、この鎌倉時代に実際に展開していて、それを大河ドラマとして手がけられるのは、本当に脚本家冥利に尽きると思っております。
私的所感ですが、ドラマで描かれた13人の御家人がすべて世を去るのが大江広元が亡くなる1225年。前年の1224年に北条義時が亡くなるので、強引につじつまを合わせるなら、義時死去によって、ドラマは「鎌倉殿の13人」の成り立ちと死を描いてきたと言えなくもないと。義時が主人公であり、異彩を放った活躍に焦点が当てられますが、義時以外の御家人たちの栄枯盛衰が振り返ればよみがえってくるドラマではないかと思うのです。
2024年のNHK大河ドラマは 『どうする家康』
NHK公式ホームページ どうする家康
貧しき小国・三河の岡崎城主・松平広忠の子として生まれた松平元康(のちの家康)は戦乱で父を失い、母とも離れ、駿河の大国・今川家のもとで人質として暮らしていた。
『どうする家康』物語り
今川義元に見込まれた元康は不自由ない生活を保障され、十分な教育も受け、やがて今川家家臣・関口親永の娘・瀬名と恋に落ちる。そんな今川家に染まる姿を、元康に付き添っていた石川数正、鳥居元忠ら三河の者たちは苦々しく思っていた。
ある日、父の墓参りに三河・岡崎を訪れた元康は、そこで父に仕えていた酒井忠次など旧臣たちと再会。彼らが今川家支配下にいることに不満を抱き、松平家再興の思いがくすぶっていることを知る。しかし、義元を慕う家康にとって、彼らの思いは重荷でもあった。
1560年(永禄3年)、今川義元は、織田領である尾張へ進撃する。元康は妻子たちに別れを告げ、織田軍の攻撃を受ける大高城を支援するため、そこに兵糧を送り込む任務に就いた。
敵方の猛攻をくぐり抜け、大高城にようやくたどりつき、喜んだのもつかの間、桶狭間から衝撃の知らせが届けられる! しかも、大高城に押し寄せるのは、あの織田信長! 幼いころ、信長と一緒に過ごし時の忌まわしい記憶が、元康の脳裏によみがえる。
織田軍に包囲される中、家族が待つ駿河に戻るか、故郷の三河へ進むか、それとも籠城か。
この決断が、ピンチとガマンの連続、壮絶な家康の人生の幕開けだった。
どうする家康!
大河ドラマで描かれるのは、「日本」です。あるいは、「日本から見た」視点で描かれているので、日本の文化や、大局として選択していく民族性が色濃く表現されていると考えています。≪ドラマ≫として楽しみながらも、日常に行かせるヒントを探したり、本音を表現するセリフにも注目したいですね。
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