歴史上の人物が語った言葉には、残る理由がある 心に染みる言葉が沢山ありますね。
今回は『自ら道を歩む』をテーマに、一歩踏み出す勇気につながる言葉を紹介したいと思います。
違うテーマで他の言葉も紹介しています。こちらへ
人間自ら(おのずか)用に適するところあり、天下何ぞ成すべき時ならむ
橋本佐内[1834-1859]
満25歳で安政の大獄の露と消えた佐内は齢15にして『啓発録』を書きました。五訓「稚心を去る」「気を振う」「志を立つ」「学を勉む」「交友を択ぶ」を示しました。
意志は、自ら願うにあらざれば決して滅びず。
ダンテ・アリギエーリ[1265-1321]
イタリア文学最大の詩人と評されるダンテは、多くの著書を残し、後の芸術にも刺激を与えた方です。彫刻家ロダンの「地獄門」や画家ロセッティの「ベアトリーチェ」などが有名。ベアトリーチェというダンテにとって運命の女性に出会った時、ダンテは9歳でした。
自分というものがある。あるがままで十分(※1)だ。
ウォルト・ホイットマン[1819-1892]
※1 十分と充分:「十分」は数量的に一杯。「充分」は充足感と表現されますが、教科書や公文書は『十分』と表現。充分は後からできた当て字とのこと。
彼は、それまでの”詩”のルールに沿わない【自由詩】形式の『草の葉』を発表しますが、長い間この詩集に翻弄されます。しかし彼は、「自分」を貫いた人でもありました。
できる事でもできぬと思えばできぬ。できぬと見えてもできると信ずるがためにできることがある。
三宅雪嶺(みやけせつれい)[1860-1945]
彼は、哲学者であるとともに国粋主義者でもありました。明治政府発足後、急速に進む欧米化に日本の文化がないがしろにされるのでは、と考えた背景があったようです。欧米化がなんたるかをを知った上での行動でした。
毎日を最後の日なりと心得て生活せよ。
ルキウエ・アンナエウス・セネカ[前4-後65]
ローマ帝国の政治家であり、哲学者・詩人でした。かの皇帝カリグラや皇帝ネロに教育者として仕えた人で、さぞ苦労は絶えなかったろうと推察します。ということでこの言葉。『善行について』などの著書を晩年に表した経緯は切ないものを感じます。
無知を恐るるなかれ、偽りの知識を恐れよ。
ブレーズ・パスカル[1623-1662]
神童としられるフランスの哲学者パスカルは早熟の天才といわれましたが、39歳という若さで亡くなっています。《人間は考える葦である》はあまりに有名な言葉は、遺稿集『パンセ』に記載されています。
確信をもつこと、いや確信をもっているかのように行動せよ
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ[1828-1910]
現在絵画展が開催されると大変な人気のゴッホも、生きている間は1枚しか売れない非業の画家でした。本格的に絵を始めたのも亡くなる10年ほど前。情熱の画家にふさわしく、画からは強烈なオーラを感じます。
参考『座右の銘 意義ある人生のために』里文出版 より
そのほかの言葉
人生とは何か ~心に染みる言葉集①~
人間とは 生きるとは ~心に染みる言葉集②~
自分は何者か ~心に染みる言葉集③~
逞しく生きる ~心に染みる言葉集④~
心のうちにあるもの ~心に染みる言葉集⑤~
愛のある人生 ~心に染みる言葉集⑥~
人と人の間に ~心に染みる言葉集⑦~
『自ら道を歩む』をテーマにした言葉は、沢山ありましたので次回も引き続き紹介したいと思います。名言を残す著名人であっても、自らを鼓舞しなければ成し得なかったことは沢山あって。彼らと私たちの何が違うのか。60兆個の細胞の数は同じなので、遅れを取ることはないでしょう。
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